恐竜王国ニッポンをゆく〜化石と大地の記録〜

長崎と恐竜の深いつながり、ドードーも長崎に来ていた(ベネックス恐竜博物館=長崎市恐竜博物館⑤)

長崎と恐竜の深いつながり、ドードーも長崎に来ていた(ベネックス恐竜博物館=長崎市恐竜博物館⑤)

【博物館入り口に置かれた恐竜像】

 長崎と恐竜のつながりはとても深くて広い。この博物館はそれを教えてくれる。


 まず、「恐龍」という訳語を初めて使ったのが、長崎市出身の横山又次郎だ。1860年6月14日、出島の和蘭陀通詞であった第七代横山又次右衛門の次男として生まれた。東京帝国大学地質学科を卒業後、ドイツのミュンヘン大学に留学し、古生物学を学んだ。帰国後、東京帝国大学教授となり古生物学を教えた。1895年に発行された化石学教科書に初めて「恐龍」という言葉を使った。
 ちなみに、「三葉虫」の訳語も、横山が考えた。

【「恐龍」という訳語が初めて使われた横山又次郎の著書】

 日本初の恐竜化石の発見も、長崎市が初になるところだった。
 1962年に高島炭鉱で発見された骨の化石は、当時の東京大学・高井冬二教授によって、植物食恐竜の「トラコドン」の化石と同定された。しかし、1994年にこの化石が哺乳類であると判明した。発見されたのは、筆者が7歳のころの話だが、その後に関してもこの話は全く記憶にはない。長崎新聞では大きく報道されたようだが、他の新聞、他の地域ではどうだったのだろう。あるいは同定された当時から疑問があったのだろうか。残された論文等を見ても、高井教授は決して恐竜の専門家というわけではなかったようだ。
 ちなみに「トラコドン」という名前の恐竜も、「アナトティタン」というカモノハシ竜のシノニム(同種異名記載)とされて、現在ではその名称は使われなくなっている。

【一度は「トラコドン」と同定された哺乳類の骨】

【ドードー】

【正面から見たドードー】

 展示の最後は、「第6の大量絶滅」と題している。2000年以降では170種以上の種が絶滅しているという。
 「人が絶滅させた鳥類」として、「ドードー」を紹介している。この鳥はモーリシャス諸島に生息していたハト科の鳥類。飛べない鳥だった。16世紀末に発見されたが、食料として乱獲されたり、人が連れてきた家畜に襲われたりして十八世紀を迎える前に絶滅したと考えられている。
 説明板によると、ドードーが1647年8月29日、オランダ領東インド会社の船で長崎港に運ばれた。生きたまま島外の地にたどり着いた最後の記録とされている。同年9月2日に、長崎港の警備を命じられていた福岡藩主黑田忠之が、長崎奉行や家臣と共に出島のオランダ商館にやってきてドードーを見たが、気にいることはなく、一緒に運ばれてきた白いシカだけを購入した、とされている。ドードーのその後の記録は残っていない。
 面白い話だな、と思う。だれか、小説にでも書いてくれないだろうか。ドードーの全身骨格標本(レプリカ)が展示されているが、当然、長崎に来た鳥ではない。


 新生代の人気者、「デスモスチルス」については、歯と牙が展示されていた。歯はレプリカの表示があるが、牙は実物のようだ。ただし、産出地はどちらも不明となっていた。
 この博物館のすぐ隣には、「軍艦島資料館」がある。軍艦島と呼ばれる端島と、その地下に掘られた端島炭鉱の歴史や、世界遺産としての価値について伝えている。小さな資料館で見学にはそう時間もかからなかった。日本の産業がどのようにして発展してきたのか、その裏にあった人々の生活と共に考えることができる貴重な場所だと感じた。ぜひ、立ち寄ることをお勧めしたい。

【デスモスチルスの歯と牙】

(取材・2026年7月2日)

ベネックス恐竜博物館(長崎市恐竜博物館)

〒851-0505 長崎市野母町568-1
095ー898-8000

休館日
原則月曜日(詳しくは博物館HPを)
12月31日・1月1日

午前9時~午後5時(入館は午後4時半まで)

観覧料(常設展示)
一般               500円
小学生・中学生・高校生      250円

博物館+軍艦島資料館セット券
一般               750円
小学生・中学生・高校生      400円

           (館内ガイドによる)